金属の上に他の金属を覆って素地を酸素から護り、一層美しく見せるためにメッキの仕事が考えられた。
西欧の技術も紹介され、いろいろ新しい鍍金も利用され金、銀、亜、鉛錫などの鍍金が行われるように
なったが、方法としては焼着または浸漬鍍金であった。
「金を水銀に融合して焼きつけると金アマルガム中の金のみが残る、これが滅金である」
(香取秀直氏)
すなわち、滅金は鍍金を以って塗ることである。
滅金がめっきと読まれるようになったのは今から390年ほど前、慶長節用集という本に始まる。
徳川時代鍍金の技術は錺屋(飾り屋)が用いた。
その方法は
鍍金 = 銅器を磨いて水銀を塗り金箔をおいて焼く。
焼着 = 銅器をみがいて亜鉛と水銀を足して塗り
金箔をおいて焼く。
七度焼 = 銅器を磨いて水銀に金箔を足して塗り焼く。
縁金 = 椀盆の口縁に漆を塗り金、銀箔をおいて焼く。
福輪 = 鉄器、磁器の口縁を金銀で飾るというようなものである。
鍍金の鍍の字は前記の節用集より十年おくれた
倭玉偏という本にはじめて、鍍金という意味に
用いられたが、一般的には鍍金の方がよく通用
したらしい。
西欧の技術も紹介されいろいろ新しい鍍金も利用され
金、銀、亜、鉛錫などの鍍金が行われるようになったが、
方法としては焼着または浸漬鍍金であった。